昨日の公開講座では、
ものあふばの「ふ」である 藤岡淳子さん と
少年院や刑務所生活を経験した当事者3名の方 から、
お話がありました。
◆ 犯罪という選択をしないための、自分の中のブレーキについて、
当事者の方から、
刑務所で出会った職員(刑務官など)の方の暖かい言葉や思いやる言葉や態度に触れ、
自分は、「この人を裏切れない」と思っている
刑務所に面会に来てくれていた親族が、あるとき、すごく怒ってくれた
再犯防止プログラムを学び、それを出所後も実践している
被害者の語りをネット等で探して読み、自分の犯した罪の重さを再認識する
という趣旨のお話がありました。
◆ また、参加した矯正に関わる職員の方から、
「自分たちは、出所(出院)後には、どれだけ思い入れのある当事者がいても、
出所後に連絡を取ることも、手紙を返信することも禁止されている。
出所したあとどうなっているか、知りたくても知る方法がない。
残念なことに、再犯をして戻ってきたときに、出会う、という形でしか、
出所後(出院後)のことを知る機会がない。
出会えて、懐かしい思いもあるが、(望ましい出会いでないため)
とても複雑な気持ちになる。
しかし、今日、当事者から、自分たちが取り組んできた再犯防止プログラムが、
日常生活において実際に活かされているということや、
職員の言葉が心に残って、支えになっているといった話を聞いて、
とても、エンパワメントされた。 」
という趣旨のお話がありました。
◆ 刑務所生活が、出所後の社会復帰に与える影響について
これは、講演後に個別にお話しした中でお聞きしたことですが、
・ 刑務所内の作業は、就労習慣を身につけることには、役に立っていないと思う。
一日ずっと、黙々と、座ったままの作業が続く。
働くことの意味、自分たちが今している作業が、どう社会で役立っているのか、
という話は、まったく聞かされない。
・ 刑務所では、たとえば、見学に来た人が近くを通った時に、何だろうと思ってそちらを見る
ことは、禁止されており、懲罰の対象となる。
移動時の歩行も、軍隊のように、振り上げる手の角度から後ろに振り下ろした手の角度まで
決まっている。
このように、人間の自然な動き(誰かが近づいたら振り向いて確かめるなど)すら、
必要性もわからないまま、禁止され、あるいは義務付けられ、自由が奪われている。
しかし、当初、苦痛だったそれらのことが、
長い間それを続けていると、人間怖いもので、それに慣れてしまう。
” 自由がないことが、落ち着いた生活になってしまう。 ”
そのため、出所してしばらくは、車が近づいて来たり、コンビニのライトすらまぶしくて、
普通の日常における刺激すら、怖くなってしまう。
・ また、出所したとき、
”24時間自由が与えられても、何をしていいのかがわからない。”
誤解を恐れずにいえば、たとえば、電子監視というシステムすら、
監視してもらって、自由を奪われるので、その方がマシ、というくらいの感覚になってしまう。
・ 出所時に、自分は迎えに来てくれる人がいなかったので、いる人が
うらやましかった。
◆ ノルウェーでの社会移行支援(WAYBACK)
ノルウェーでは、刑務所に入っている期間はできるだけ短くするということで、
多くが、1年未満で出所となっています。
それでも、元受刑者の方が中心になって運営している
社会移行支援を行っている「WAYBACK」の元受刑者の職員の方は、
次のようなお話をなさっていました( 以下、今日のレジュメから引用。 )
そして、今日参加した3名の方が、みな、このWAYBACKの方のお話の
一部を引用して、同じような思いだ、とお話しなさったのが、印象的でした。
☆ 刑務所から出たらどれだけ大変か。
長くいると、中にいる方がよくなってしまう。
自由がないことが落ち着いた暮らしになる。
↓
外で自由に暮らせるという自分への信頼さえ、無くしてしまう。
不安で自信がないので、昔の仲間のところへ戻ってしまう。
☆ 犯罪に対して恥ずかしいことをしたという気持ちを持つが、
持ち続けると自分を抑圧してしまう。 外にいても、自分のまわりに
刑務所の壁をつくってしまう。 自分で自分に厳しい処罰をしてしまう。
☆ 自分が受刑者であることを一番気にしていた。
気にしない人もいるのに、自分がそのことばかり気にしてしまう。
☆ 回復に必要なのは、
時間、他者からの許し、多様な役割 である。
回復には、時間がかかる。
☆ 出所後、”住むところ” と ”仕事” が必要だった。
☆ 経験者がつなぎ役になる。
出所者には、社会の普通の場所にいたことのない人が多い。
希望も自信もなく、普通の生活をするのが難しい。
☆ 出所前に、相談にのる。
「もし、明日釈放されたら、どんな生活になると思うか。」
その質問で、ニーズがわかるので、釈放に向けて準備する。
「何をしたいのか」は聞くが、「なぜ、変わりたいのか」は聞かない。
☆ 釈放日に、門まで迎えに行き、一緒にケーキを食べる。
その語、すぐに社会保障の手続きをする。
☆ なお、「WAYBACK」は、
受刑者60%+民間人+矯正関係者で、役員会が構成されている。
予算は、矯正局・社会福祉局・民間。
100人のスタッフ。4つの町に支部がある。
ノルウェーの人口は、約488万人 (大阪府:約886万人、大阪市:約266万人)
◆ 社会移行支援について
個人の意見で、整理もできていないのですが、考えたことを書いてみたいと思います。
① 刑務所の刑務官その他の職員と、受刑者とは、刑務所内の生活を通じて、
自然と人間関係が生まれる面があります。
それを、社会復帰後も、プライバシーを守りながら、うまく相談にのったり、
手紙のやりとりを認めるなど、つながっていける仕組みを作ることは、
できないのでしょうか。
当事者にとっては、自分の過去を知っている安心して相談できる人として、
また、受刑中の自分の葛藤や社会へ出てからの期待と不安などを分かち合った
信頼できる人として、相談しやすい場合も少なくないと思います。
また、矯正職員の方にとっても、自分たちのかかわりが、社会でどう活かされて
いるのか、また、自分たちが関わって思い入れのある当事者たちの相談に
乗り、助けることができたら、という自然な思いを活かすことができると思います。
双方にとって、エンパワメントできる関係になるのではないか、と思いました。
もちろん、どこかの段階で、社会内の人にバトンタッチしていくことは
必要ですが、一定期間、オーバーラップすることは、必要だと思いました。
このようなオーバーラップが可能となる制度に、変えていけないものでしょうか。
② 「多様な役割」、少なくとも、生きててよかった、自分も生きていてよい、
と感じられるような、役割を、社会の中で得られるようにしていくことが、
大切ではないか、と思いました。
では、具体的にどうすればよいのでしょうか。答えは簡単ではありませんし、
私も明確なものは、持てていません。
☆ 社会内で役割を感じられる一つが、「就労支援」「仕事」だと思います。
でも、人間関係でつまずくことも少なくなく、
それがうまくいかないときのダメージは、小さくないと感じます。
その意味で、就労支援は、仕事が続けられているということも、
もちろんそれ自体大切だと思いますが、
それと同じくらい、あるいは、それ以上に、
その仕事を通じて、周囲の人に、社会に、受け入れられている、
普通の生活ができている、人とのつながり、暖かさを感じられる、など、
頑張っている自分・社会で役立っている自分・普通の生活を送れている自分、
などを、当事者が感じて日々過ごせているか、ということが大切なのではないか、と
思いました。
☆ アルコールや薬物依存のある人は、就労支援をするとプレッシャーになり、
依存症が悪化するおそれがあり、治療を優先する場合がある、というお話が、
グループディスカッションの中で、ありました。
こういう場合には、一つは自助グループの中で、役割を与えられたり、
互いを支えあうということは大切なことなんだな、と思いました。
グループにきちんと通い、アルコールなどを飲まないで過ごせた自分、
24時間やることがないという悩みも、グループに通うことが自分がやるべきこと、
というように、自分の中で位置づけることができれば、孤独や自己イメージの低下も
緩和されるのではないか、と思いました。
☆ でも、自分から壁を作っている人も、少なくなく、グループになじめない人も
いると思います。
自分から、人間関係を切ってしまう人も、少なくないと思います。
こういう段階にあるときは、まだ、人への信頼がもてなかったり、距離がわからなかったり、
どうかかわっていいのかが、わからない状態なのではないかと想像します。
このような段階にあるときは、地域包括支援センターの方や
保護観察官や保護司の方や、医師や臨床心理士や社会福祉士の方など、
一定の専門性を有し、当事者の背景事情に思いをはせることのできる人が、
やはり、必要なのではないか、と思いました。
自分をある程度、さらけ出したり、ひどいことを言っても、自分から関係を切っても、
関係を切られることはなく、一貫して関わってくれる存在として、
そういう専門性を有する人とのつながりは、やはり、必要なのではないかと思います。
そして、そのつながりは、1年程度では難しく、3年経過しても必要な人には、
必要なのではないか、と思いました。
同時に、昨日の公開講座のように、守秘義務が守られ、
安心して、経験や葛藤や気づいたことなどを話し、聞いてもらえる場や、
他の当事者の話が聞ける場というのは、自分を振り返り整理する場として、
また、他者から認められる場として、大切ではないかと、思います。
まずは、「 当事者+関心を持っている人たちのつながり 」を作っていく。
座談会、講演とともに、一緒に食事をしたり、バーベキューをしたりなど、
友人関係まで行かなくとも、隣人として、
互いの存在を認め合う関係が、感じられるような場を、
定期的に、作っていけると、いいのではないか、と思いました。
このような地道で緩やかなつながりを、重ねていくうちに、徐々に
”人によって温められる経験”が蓄積され、自分の方から、
壁を少し、取り除いてみようか、失敗してもいいじゃないか、
それでも人の中で生きていきたい、と思えるときが、
きっと来るのではないか、それを信じてみたい、と思いました。
そして、自分の壁を取り除いてみたが、でも失敗した(と思い込み)、
また壁を作る。そういうことがあっても、またもう一度、壁を取り除いて、
やってみようか、ということを繰り返しているうちに、
壁も、少しずつ薄くなって、取り除きやすくなるのではないか、
と思いました。
そういう時期がくるまで、そういった隣人としての関係を、
できる範囲で、細く長く、続けていくことが大切ではないか、と思いました。
なお、WAYBACKでは、
100ほどのさまざまなプログラムがあり、その中には、
当事者が、出所後、親として、子どもとの野外遊びができるよう、
野外遊び(ハイキング、釣りなど)について学べるよう、配慮されていました。
☆ それから、外国では、先輩当事者が、後輩当事者へ、自分の経験を話したり、
サポートしたりする仕組みが、必ずといっていいほど存在しており、
大切な役割を果たしています。
元受刑者で、一定の回復が得られている人には、
WAYBACKのように、受刑者の社会移行のサポートを、仕事として、あるいは、
アルバイトとして、関われるような仕組みが必要ではないか、と思いました。
具体的なニーズが、出やすく、困っていることが話しやすいのではないか、と
思います。
できれば、WAYBACKのように、出所前から関われる仕組みができると
いいなと思いました。
☆ 刑務所での生活を、全体に、自主性や社会で許容される意欲を育て、
自己イメージを回復させるものにするとともに、
①孤独やストレスとの付き合い方について
②人間関係の葛藤や距離について
③余暇の過ごし方について
④働くことの意味、犯罪をしてはいけない意味、生きることの意味
などを、学べるようにして、
社会にできるだけスムーズに移行し、社会内で生活できるようにすることが、
大切ではないか、と思いました。
社会から隔絶し、自由を奪う面は、懲役あるいは禁錮という刑の執行ということでは、
やむを得ない面はあり、必要であるのかもしれません。
しかし、必要以上に、社会からあまりにかけ離れたルールや、
社会においては意味をなさない義務を課すなどして、自由を奪い、
考える時間を奪っていくことは、
その人の生きる力を奪い、社会移行を困難にさせるだけでなく、
生きる意味が見出せなかったり、社会に対する恨みを増幅させ、
自殺や再犯率を高め、
結局は、社会全体の不安を増大させているのではないか、
悪循環を生んでいる、と思いました。
いろんな人と一緒に考えていくこと、そして発信していくことが、まず第一歩かなと思ったのと、
今日、話しにくいことも含めお話しくださった3人の方の思いを、少しでも伝えたいと思い、
書いてみました。
読みづらいところも多々あると思いますが、
長文に付き合ってくださって、ありがとうございました (も)。
◆ 「再犯防止に向けた総合対策」(案)に対する意見の募集(パブリックコメント)について
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/saihanbousi/240613pubcom.html
提出期限は、 6月27日(水)17時まで です。