先日、ものあふばのメンバーで、食事をしているとき
どんなときに、泣く?
という話になりました。
・ (理不尽に怒られたときなど)くやしいとき
・ 悲しいとき
・ 情けないとき
・ 辛いとき
・ 生や死といったテーマに触れたとき
・ ドラマをみているとき
・ 相談者・依頼者の話を聴いているとき etc
”泣くツボ”は、メンバーによっていろいろです。
相談者・依頼者の話を聴いているとき、
想像を絶する辛さや、悲しさに触れたときなどに、
泣いてしまうことがあります。
ものあふばのメンバーは、みな、そういうときがある、って言っていました。
涙は、ときに、周りに影響を与えてしまうこともあるので、
仕事のある場面では、我慢しないといけないこともあると思ったりします。
その意味で、もっと強くなりたいな、と思います。
でも、他方で、いろんな辛い、悲しい話を聞くことがあって、
そこに、いろんな共通点を感じたとしても、
その思いは、その人だけのものであり、一つとして同じものはないのだから、
そういった思いへの
”センシティブな感受性”
は、どうか失わずにいられたらいいな、と思います。
”感受性” と書いて、
ふと、 ”自分の感受性くらい” (茨木のり子) の詩を思い出しました。
茨木のり子のように強くはなれそうにないですが、
他の人たちの力をお借りしながら、
自分の感受性、こころを、守り、育てていけたら・・・と思います。
それにしても、だんだん年を重ねるにつれて、
自分を振り返ることって、どんどん減ってきていませんか?
改めて、振り返ることは少なくなっても、
いろんな人たちと出会い、話をする中で、
また、自然や音楽や映画やドラマなどにふれたりする中で、
”自分のこころって、何を求めているんだろう?”
”今は、どんな感じかな?”
って、ときには、自分のこころを見つめ、開け放つことができたらいいですね!(も)。

(ニュージーランド クライストチャーチの植物園にて)